6月の壮年研修会について

壮年研修会中止のお知らせ

 コロナ騒動が始まって以来百日余り、不自由なくらしがつづいております。この世は私達が努力しても、どんなに願っても、思うようには動いていかないことを多くの人が知りました。自分に何が起こってくるのか、そのことには全く手が出せないことはすでに佛教で教えられています。必ずしも善因善果ではありません。しかしこの身にもち上がってきた事実を、どのように感じるか、どのように受け取るかは、私達に与えられている自由です。そこにその人の人生があります。かつてユダヤ人のフランクルは、人が生きる価値として、態度決定する価値といっております。我身におこってきた事実に対して、どのような態度を決めるか、そこにその人の生きる価値があるというのです。おこってきたことがらよりも、そのことに対応するこちらの姿勢・行動にこそ生きる意味があると教えています。
私達はどういう状況の中でも生きねばなりません。思い通りにいかない現実を嘆き、愚痴を言って生きるか、それとも困らせている現実を一つの転機として、今まで気づかなかったくらしを見つけるとか、これまでなかった心が生まれていることを知るくらしになるか、そこに生きるうえで大きな開きがあります。こういう窮屈な日々ですが、再び帰ってこない大切な御縁として過ごしていただきたいと願っております。
今月も壮年研修会を中止することといたしました。現状を考えると再開の見通しは全く立ちません。人が集まり触れ合うことで成立してきた聞法会ですがそれが叶わない今、再開までどのように歩んでいくかともにお考え下さい。壮年会へのご意見ご要望、最近感じていることや気になった言葉・本など何でも結構です。お手紙・メール・お電話でお寄せ下さい。皆さまのお声をお待ちしております。                     合掌
前住職 伊藤元
メールアドレス tokuren@ceres.ocn.ne.jp
電話番号    (093)531ー1015

6月の同朋婦人会について

同朋婦人会中止のお知らせ

一旦は収束に向かうように見えた感染症ですが、北九州では再び感染者が確認され市長
から第二波へ突入したとの宣言がありました。三月中旬以降、法要を始めお寺の活動はほぼ休止状態です。婦人会もすでに三ヶ月もお休みをしてもうそろそろ再開しなければと考えています。しかしマスク着用・手指消毒・ソーシャルディスタンスの確保・会場の消毒などできるだけのことをしても、皆さまがお寺までお出でになるその移動中のリスクを考えますと、再開はまだ早計であるという結論に至りました。今はその時のために、見て聞いて読んで思いを巡らす機会だと考えています。未だ再開の目処は立っていませんが、一刻でも早く皆さまとお会いできることを願っています。
以下前住職からのメッセージです。

「今回の新型コロナウィルスの蔓延により、これまでの私たちの生活形態が大きく変え
ました。感染予防のために不要不急の外出を控えたことで人の流れが急激に減少し、行政・教育・経済などが多大な影響を受けました。学校・交通関係や様々な生産事業・サービス業など、すべての産業が疲弊しました。同時に人とのつながりも少しずつ失っていきました。政治経済・教育などの分野は、それぞれ独立してあるものではなくて、互いに深くつながりあっていたことを今回の騒動で気づきました。
 佛教では、人間を関係存在と教えています。「関係は存在に先行する」という先師の言葉もあります。人とは関係を生きるものということでしょう。例えば親子関係・夫婦関係・友人関係などその関係の中に在って、関係性を失うと人は育たないのです。これまで私達は気づかぬうちに、多くの人たちとふれあい鍛えられそして育てられて人として生きる力をもらってきたのです。生かされているとは、こういうことを言うのでしょう。
 今いただいている関係、さらに新たに生まれるであろう人との関係、そういうものを大切にしてゆかねばならないことをいっそう強く感じております。
 次回お会いできることを楽しみにしています。合掌」

 なかなかお会いすることができませんので、皆さまからのお言葉をお待ちしています。お手紙・メール・お電話なんでも結構です。現在は住職・前住職ともにほぼお寺にいます。長電話も大歓迎です。ぜひお寄せ下さい。

メールアドレス tokuren@ceres.ocn.ne.jp
電話番号    (093)531-1015

【今月のことば】
「人が何よりも執着せんとするものが自己である」
                             (毎田周一

壮年研修会中止のお知らせ

今年2月以来、新型コロナウィルス騒動の終息が見通せないので、5月15日の壮年研修会は中止せざるを得なくなりました。次回以後については、この騒動の推移によって決めたいと思います。
現在、コロナウィルス騒動で、経済、教育、政治等の面で私達は多大な影響を受けています。今、経済的にも精神的にも、追い詰められて、生きることが危うくなり、途方にくれている人が多いことを報道で知りました。正に雑会(何でも起こり得るところ)という言葉がひびきます。
 これまで何を依り所として生きてきたのか、又信頼すべきものを何に置いてきたのか、そのことが身に問われています。
 かつて故安田理深師が「人間の絶望をこえる現実がある。いくら絶望しても現実は少しも変わらない。絶望より現実の方が大きいのだ。」そして「絶望を縁として自己を深めてゆけ、自己を深めることによって難関を突破してゆけ。」と言われた言葉が甦ってきます。変わりようもないこの現実こそ、深く生きる縁であろうと思います。そして生きる智慧としての因が教えとなって既に与えられていることにも気づきます。
 この現実に立って、更に教えに聞いてゆかねばならないと感じております。皆さまのご健勝を念じます。                                                                           合掌

2020年05月09日

同朋婦人会中止のお知らせ

新型コロナウィルス肺炎の終息の見通しが立たないので、5月11日の同朋婦人会は残念ながら中止といたします。6月以後は様子を見た上で決めたいと思います。
近代以降今日に至るまで、日本人の生き方は大まかに言って二種類あると思います。一つは神仏に祈って病気や災害を除き幸せを得ようという道。今一つは科学技術の力によって困った問題を克服し幸福になってゆこうという方法であります。このいずれもこれまでの難関に対しては多少の力になったとしても完全に解決はできませんでした。
今回の新型コロナウィルス肺炎について、科学の力でいくらかの対応はできても、完全に打ち勝つことはおそらく難しいのではないかと思われます。
浄土真宗の教えは、この世の道理に従って豊かなくらしを築いてゆこうという教えであります。決して困ったことを無くして思い通りにしようという道ではありません。この世間は私たちの願いや祈りをこえて、想像もしなかったことがおこってくるところであると教えています。そして起こってきた事象によっては、自分の判断や見通しが完全に否定され途方にくれることもありますが、それによって現実に立ち返らされるということがあります。身に持ち上がってきたことが、どれほど大変であり、悲惨であっても、これが現実であると頷くことができれば生きていく覚悟が生まれます。先輩達が過去において様々な危機を何度も乗り越えていったことを思い起こしております。
大震災、大水害、経済恐慌、そして戦争等に会いその都度立ち上がっていったことを知っています。
ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が一週間ほど前に新型コロナウィルス問題について「今やもはやコロナウィルスとの戦いではない。コロナウィルスと共存していくべき」と発言されています。そして「この宇宙にはコロナウィルスだけでなくて、様々な病原菌が散在している。それらと共存して生きていくべきである。」と言葉を重ねておられます。
法(道理)の立場から言えば、この宇宙は人間が中心になって動いているのではなく、無数のいのちあるものが共存して成立っている世界といえます。それらの生きものは、私達が望むように人類を助けていったものも居るが、同時に私達の希望を奪い、苦難におとし入れるものもありました。双方とも在るべくして在るものであり、私達を有形無形に育てる存在としてあると思っております。今回の新型ウィルス騒動が、今まで見落としていた多くのことに気づくことができれば、この困った騒動もあながち無駄なことではないと思われます。
どうかこれからの毎日を今までよりも一層大切な一日として過ごされますよう念じます。                                         合掌

2020年05月09日

壮年会のお知らせ

ご承知のように、ここ3ヶ月に亘り新型コロナウィルス肺炎の蔓延により、世の中は騒然となりました。半年前には想像もつかなかったことで、これまでに開かれていた様々なイベントや催し等のほとんどが中止に迫られるほど厳しい事態となりました。
皆さまの健康を鑑み、引き続き今月も壮年研修会を中止といたしました。次回については改めて検討したいと思います。
振り返ると私たち人類には、思いもしない難事に幾度となく会い、それを潜り抜けてきた歴史があります。親鸞聖人の時代にも災害・疫病等の難は何度も起こっております。ご存知のように災害等で途方にくれている関東の門弟達に宛てた親鸞聖人の手紙が御消息集に残っています。その中に、難事に会った人々への見舞いの言葉に次いで、「ただし生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろうゆえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう」という言葉をかけておられます。(訳)「けれども生死無常の道理はすでにくわしく如来様が説いておられることなのですから、改めて驚かれるには及びません」と。関東の門弟達はこのお言葉によって現実に立ち返り、難関を乗り越えていったという言い伝えがあります。
この世の現象には自分が確かと思い込んでいる分別を問い返すはたらきがあります。これまで育てられ頂いてきた信心は、この世の事象によって深められ、より確かなものへ鍛えられてゆくものです。
私は今、自分の様々な予想や見通しの浅さや、甘さを思い知らされています。ありがたいことです。今後も身に及んでくる現象を避けることなく、教法を因とし、世間の出来事を縁として、歩みを進めて参りたいと願っております。
尚、これまで学んできた『正信偈』がまもなく終了します。その次のテキスト及び今後の会の持ち方等についてご意見をお聞かせ下さい。
合掌

2020年04月07日

婦人会のお知らせ

同朋婦人会中止のお知らせ

今年1月中旬頃に、新型コロナウィルス肺炎の発生が知らされました。それが2ヶ月も経たぬうちに世界中に広がり、日本全国に蔓延してしまいました。終息する時期を見計らっていましたが、こちらの予想以上に広がり、感染者数も増え続けています。
当地北九州でも、日々新たな感染者が出ております。皆さまの健康や身近な方の安全を考慮の上、徳蓮寺役員会での協議の結果、先月に引き続き今月(4月)の同朋婦人会も中止することとなりました。来月以降は現状を見て決めたいと思います。

講師(前住職)からのメッセージ
「この世間を佛教で雑(ぞう)会(え)(予想を超えて様々なことに出会うところ)と教えられていることを今改めて思い知らされます。私たちはどういう状況の中でも生きてゆかねばなりませんし、またその状況自体が教えている道理というものに目を向け、育てられねばなりません。私は今、これまで当然と思い込み見落としてきた多くのことに気づかされております。
これまで皆さまと『正信偈』を学んで参りましたが、次回で終了の予定です。次に読んでいくテキストは『歎異抄』、『蓮如上人聞書』、蓮如上人の『御文』などを考えています。ご意見やご提言などぜひお聞かせ下さい。
なお、これから学んでゆくテーマとしては生きる依り所としての「浄土」といたします。」

 当面、徳蓮寺の行事は婦人会のみならず、壮年会・蓮華くらぶといった毎月の定例会や年間法要などの開催の目処は立っていません。聞法会が開かれない間にお寺が何ができるの、どのようなことが期待されて何を望まれるのか、皆さんのご意見をお願いします。
合掌

【今月のことば】
「お念仏というのは つまり自分が 自分に対話する道」  (曽我 量深)

2020年04月06日